SAKAMOTO

新着情報
NEWS

NEWS

工作機械の歴史③ 201109

教育2020/11/12

工作機械の歴史③

●戦中・戦後の工作機械業界で活躍した人々
戦時中→兵器産業向けの開発・製造に携わり、工作機械技術習得
    に努める
戦後復興期・高度経済成長期
   →取得した技術力を活用して、戦後のシンボルとも言える
    工作機械開発の礎を築いた人々

・大隈栄一(明治3年~昭和25年)
 明治31年 大隈製麺商会設立
 大正5年  大隈鉄工所と改名
 第一次世界大戦後の不況期に組網機や旋盤用テールストックなどを発明
 旋盤ねじ切り装置、中ぐり盤の研磨装置を発明等、多くの特許を取得
 当時の5大メーカーの1つ(現在のBIG3の1つ)として、中部地方
 工作機械業界の雄となる
 戦時中は「忠君愛国の至誠」の精神で、能率増進、品質向上、原価低減
 に熱心に取り組んだ

・岡本覚三郎(明治21年~昭和39年)
 明治42年 東京高等工業学校(現東京工業大学)
 卒業後、呉海軍工廠造機部に入廠
 イギリスに派遣され、3年間大学で研究 
 帰国後、海軍義手に任官官軍工廠の機械検収業務
 大正3年 池貝鉄工所に入社(池貝喜一郎の片腕)
 大正15年 岡本千洋工作機械製作所を創業 
       「研削盤の岡本」

・竹尾年助(明治6年~昭和31年)
 東京工業学校(東工大)→渡米
 ニューヨーク高峰研究所→スティーブンス工科大学
 明治42年 唐津鉄工所設立に尽力
 大正5年  唐津鉄工所の初代社長
 高精度高剛性工作機械の製作に集中
 呉海軍工廠に大型機械を短納期で納入
 戦後は唐津鉄工所の技術者が全国に散らばり、日本の工作機械工業の基
 礎技術を支えた

・牧野常造(明治36年~平成15年)
 早稲田大学→工作機械輸入商社、碌々商会入社
 昭和10年 牧野商会創業(現牧野フライス)
 G型フライス盤、高性能フライスの製作を一貫
 ☆富士通信機製造(現ファナック)の協力による日本初のNCフライス盤
  第1号の試作に成功
  初代日本工作機械工業会会長

・石橋勲(励)(明治30年~昭和44年)
 大日本兵器(株)とスイス・エリコン社の交渉で活躍
 第2代日工会会長

・江波和重(明治44年~)
 昌運工作社(ヤンマーグループ)工場長
 カズヌーブ旋盤を逆輸出するほどに高度の生産体制を築いた

・西坂誠三(大正9年~)
 トヨタ自動車→豊田工機→豊興工業(ジェイテクト)代表取締役社長
 ジャンドロン研削盤の生産体制構築などに尽力

・ゴーハム(1881年~1949年)
 大正7年 航空機エンジン製造販売のため米国より来日 
      日立精機の製作指導

・朝子保次郎(大正3年~)
 ゴーハムの指導を受けタレット旋盤開発

・白土暁(明治44年~昭和61年)
 ゴーハムの指導を受けタレット旋盤開発
 西独のギルデンマイスター社と提携して多軸自動盤製作

・海軍出身者 並河恒夫(明治21年~昭和28年)
 3年間アメリカに出張し、能率的システムなどを視察 
 後に廣工廠勤務
 技術者養成に尽力
 戦後は大隈鉄工所顧問に就任

・鉄道関係 五十嵐修蔵(明治30年~昭和63年)
 鉄道省入省後、同省工作局で鉄道用工作機械の開発に携わる
 TS型工作機械の製作指導で国産機の発展に尽力
 GHQ顧問に招請

・早坂力(明治22年~昭和38年)
 技術提携に尽力
 日本製鋼所、室蘭製作所勤務
 42インチ砲2門の記録係の後、池貝鉄工所に転職
 4インチ中ぐり盤設計
 日仏工作機械工業間の技術提携を仲介
 戦後日本の技術開発に大きく貢献
 東洋歯車初代社長(現豊精密工業)

●戦後の工作機械業界
・軍需産業解体のための戦後賠償
 1945年GHQが日本の軍需産業解体を占領政策の最初に行う
 過去、第1次世界大戦の賠償をドイツから物品で要求
 →アメリカからの流入資金でドイツの重工業が支えられ、ナチスに
  経済的基盤を与えてしまった 失敗
 →日本の生産設備を根こそぎ奪う戦略
 海軍工廠や軍関係施設から工作機械を中心に505工場、約22万台
 が賠償対象になる
 賠償の対象が米露で意見が分かれる(冷戦構造の芽生え)
 1万9千台が、中国、フィリピンに移送
 サンフランシスコ講和条約で賠償中止
 その後国有工作機械の貸与、払い下げ
 民間賠償機械の大量放出
 →中古機が多量に市場に出た
 →新規の需要が激減
 →中古品の改良による設備更新に貢献
☆復興の兆し輸入工作機械の急増と政府の助成策
 1950年朝鮮戦争が勃発
 自動車、軸受け、航空機の製造禁止令の解除
 『戦争特需』の増産要望により、輸入工作機械に再び脚光が集まる
 倒産寸前のトヨタ自動車→米軍からトラックの大量受注で九死に一生を得る
 国内景気の回復とともに工作機械の需要は急伸
 →国内生産の伸びより輸入機の増加に結び付いた
 1953年23億円、1954年52億円生産額 内需をはるかに超えた
 半部以上輸入
 1951年、輸入免税措置+1952年、輸入補助金+アメリカが過剰生産
 して在庫多+日本の機械の品質ひくい
 半分以上が欧米輸入
☆輸入機を中心とする現場の状況を打開するため、国内工作機械を育成しようと、
 政府は数々の助成策を打ち出した
 

自分の仕事に取り入れたいこと

 工作機械の礎を築いた人々の精神を見習い、今後の仕事に取り組みたい

 戦中、戦後の物のない時代に、工作機械の研究や発明でものづくりをしていた
 人たちはすごいと思った

 トヨタ自動車に倒産の危機があったのを初めて知った

 工作機械の歴史を学ぶことは、今ある企業の全身を知れたりするので
 面白いと思った

 戦中に工作機械業界で活躍した人が、今の大手メーカーの設立に深く関係
 していることが知れた

 唐津鉄工所の技術者が、戦後、全国で工作機械の基礎技術を支えたりと知り
 すごいと思った

 今ある工作機械を自社で改良・改造するのはどの時代でもあるんだなと思った

 活躍した人々の功績をさらに詳しく知りたい

 欧米の国々の工作機械は、当時国内メーカーの工作機械に比べ、とても先進的
 なものであるということが分かった
 
 
振り返り・今日の学び
 
 国内の景気回復の裏には、工作機械の需要拡大があると分かった

 戦後の賠償で工作機械が賠償の対象になっていたのは初めて知った

 15分の5Sの時間、北側の掃き掃除の人手が足りない

 工作機械業界は過去より政府の助成策などによってしっかり守られてきたこと
 が分かった。そうした恩恵を今後も受けられるよう、社会に貢献できるものを
 作りたいと思う

 戦中は国産の工作機械メーカーが主だったが、戦争が終わって貿易が再開され
 ると、政策の補助金や特需によって外国産の工作機械が増えたことが分かった

 工作機械の礎を築いた人々の技術習得の努力はすごいと思った

 戦後、賠償金代わりに、国内の工作機械が売却対象になっていたのは初めて知った

 戦中から戦後の工作機械の歴史を学んだ。工作機械が賠償の対象になり、
 再び輸入品を頼るようになった

 戦争における工作機械の発展はめまぐるしい物があると思った