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工作機械の歴史 ⑦ マザックの歴史① 201217

教育2020/12/21

工作機械の歴史 ⑦

●母なる国(ドイツ)から学ぶこと
ドイツの工作機械は原理原則(工学・力学)に忠実に作られている
ユーザーは納得して使いこなす

☆工作機械の選択過程で機能の追加希望の場合
・日本メーカーは基本的に引き受けてくれる
 そこを強みにしている
・欧州メーカーは安易には引き受けない
  →理由:機械のバランスが崩れる
 一旦了解されると安心

◎日本の場合は話が進むのが早いが、ゴールにたどり着くのは難しい
                  ↑それぞれのユーザーの目標
 ユーザー目線になること、適正な品質に保つ

●日本とドイツの機械の違い
旋盤、マシニングセンター、一見すると外見は似ている
大きな違い→開発方針を決めるまでのヒアリング量
      (お客様の意見を聞き、まとめる)
・日本で新製品を完成→売出し
  →ユーザーの希望をモデルチェンジで盛り込む
・ドイツでは事前の市場調査を徹底的に行い、開発方針を確立させる
 一旦決めたら、「これがベストだ」と説明する 
 (市場調査で調べ上げたニーズの大半を盛り込んでいるので、
  説得力が大きい)

●ユーザーとメーカーの関係
・日本は売り手が必要以上にへりくだる
 (買い手を崇め奉る、お客様は神様)
 →正確な情報の共通基盤がないから
・欧米社会は契約の概念がしっかりしている
 売り手と買い手が対等である
・情報の共通基盤の差は、教育制度の違い
 ドイツの教育制度「デュアルシステム」
 義務教育終了後に2つのコースに分かれる
  ①大学などの高等教育を受ける
  ②技術を身につけ実社会に出る
 職業人を目指した人も、その道を極めれば「マイスター」の称号を
 得て、社会から敬意を払われる(マイスター制度)
 3K職場のイメージはない(暗い、汚い、キツイ)
・工場で働くコースでは、昼間は企業に勤務し、週末は学校に行き、
 工学の基礎を学ぶ
 (修学した企業に就職する義務はない)
・デュアルシステムは、業界が一体感を持って次世代の若者を育て
 ようと取り組んでいるシステム
 →若い人が普遍的な機械工学の基礎知識を修得できる
・日本では、工業高校に通っても実際の機械加工の機会は少ない
 就職した企業の現場でのOJT(On the Job Training)
 が主となる
 →その現場にだけしか通用しない独自の技術になる恐れがある
・売り手と買い手に共通の基礎知識がないと
  ・数値や金額でデジタル表現出来ることは、正確に認識できる
  ・肝心な機能や、技術の背景になると不正確な情報が交錯する
   →分かったつもりで商談が進み、後でトラブルになる
・産業に必要な科学(science)→エーゲ海周辺
・技術(technology)の具体化→ルネサンスのイタリア
・商業(industry)→英国で強力な動力(蒸気)機関が付加
・自動化(automation)→アメリカで少数の白人が多数の
                 先住民と戦う武器を作るため
・品質管理(quality control)を几帳面な日本人が極めた
→人類は必要物ほぼ全てを作ることが出来るようになった
☆人類の歴史の中では、多かれ少なかれ、お互いが真似のしあいで成長して
 きた部分がある
(スイスの工作機会の発生はイギリス、
  イギリスが使ったアラビア数字の発生はエジプト)
○日本は工業力の差で太平洋戦争に負けたことを自覚して、
 品質の向上に力を入れた

●マザックの歴史
1919年 創業者 山崎定吉
      「製畳機械」の製造から始まる
      「名古屋山崎式製畳機」
1923年 「山崎鉄工所」に社名変更
1926頃 多くの設備を導入、帯鋸盤、手押しカンナ、プレーナー、
      角穴掘機の新機種を開発→工作機械の製造を決意
      『世の中にないものを自分で作る』精神
1928年 山崎鉄工所旋盤一号機が完成
       →ブラザーミシンに納入
      長男照幸 誕生
1934年 モーター直結型ロール旋盤を完成
1937年 日本海軍工廠の指定工場となる
      (従業員100名)
1938年 工作機械製造事業法が公布
      (免税、試作には補助金)許可は21社
      マザックは許可とれず→優遇なし
1941年 太平洋戦争が勃発
      中島飛行機の部品の下請け会社となる
      日本各地で空襲が始まる→工場が狙われる
1945年 来襲したB29爆撃機のべ2579機
      死者7858人 負傷者1万378人 被災家屋13万
      名古屋は壊滅、焼け野原、工場が消滅
      定吉は故郷の石川県に疎開
 終戦
1946年 息子照幸と親子再出発
1947年 名古屋で開業(中古機販売)
      稼働していない機械を買い集め、分解、洗浄、交換し
      中古品として売るリビルド業に本腰を入れた(一時的な方針)
      工作機械の需要は高まっている
1948年 22万台の賠償品としてGHQに制限されていた工作機械が
      民間に払い下げられる
1950年 朝鮮戦争による朝鮮特需

      

自分の仕事に取り入れたいこと

 今、時間に余裕があるときなので、スキルアップに努めたい

 マイスターと思ってもらえるように、今よりも技術を身に付けられる
 ように努力したい 

 日本人は過剰品質にしがちなので、気をつける

 「これがベストだ」と自信を持って言えるように頑張りたい
 
 ドイツの工作機械の完成度の高さが分かった。日本の工作機械は機能
 の追加などで少し完成度を損なってしまっている部分もあるかも知れ
 ないが、それはお客様目線に立ってあげる国民性もあってのことなので、
 しょうがないことなのかなと思った。

 義務教育が終わってすぐに実社会で活かせる技術を教えてくれるドイツ
 の教育は素晴らしいと思った。日本の教育は一般的な教科の比重が大き
 いので、もっと技術系の教育を増やしても良いと思う

 日本の学校よりも就職した企業の現場でのOJTが主となり、その現場
 だけしか通用しない恐れがあるけど、結局はその人の応用力と経験だと思う

 マザックが戦後工作機械のリビルド業によって技術力を手に入れており、
 真似することの大事さが分かった

 人類の歴史のように、良いところは真似して取り入れていくようにしたい

  
 
振り返り・今日の学び

 ドイツの教育制度「デュアルシステム」を学び、日本での工業高校など
 の専門的な知識を学ぶ方より、欧米の教育のほうが合理的かなと思った 

 マザック創業者の「世の中にないものを自分で作る」精神で、工作機械
 を開発するのはすごいと思った

 日本と海外のメーカーの機械の開発時の違いがあることを知った
 
 日本の考え方と、ドイツの考え方は大きく違うことが分かった
 デュアルシステムは格差を嫌う社会では受け入れられないと思うが、
 その道を極めたい人々にとってはとても良い制度だと思った

 マザックの初期は製畳機械を作っていたことを知り、驚いた

 マザックの歴史について知れた。創業者の山崎定吉さんが工作機械だけ
 でなく、いろいろな機械を制作していたことを知れた
 
 日本とドイツでは開発の段階で、工作機械の作り方が違うことを知った

 日本と海外の考え方の差とマザックの歴史について学んだ

 日本とドイツの制度の違いに基づく、工作機械業界の違いを学んだ