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工作機械の歴史 ⑩ マザックの歴史④ 201228

教育2021/01/04

工作機械の歴史 ⑩

マザックの歴史④
1974年 アメリカ・ケンタッキー州工場が稼働
1982年 ケンタッキーFMS工場完成
      (ケンタッキーフライドチキンFCを全国チェーン展開
       した州知事に高評価された)
     『日本のものづくりがアメリカ市場を席巻する』
      (ソニー・トヨタ・パナソニックが台頭)
      戦後の焼け野原から、高度経済成長を経て経済大国に
      成長した日本人からアメリカが何を学ぶか?
      Maid in Japan≠粗悪品
                   =ハイクオリティーに変化

1980年代後半、日本は際限なく、海外に投資し、海外に市場を求めた
自動車産業(トヨタ・日産・ホンダ)は低価格高品質な車をどんどん海外
へ輸出した
『日本車は故障しない』
日本車の台頭→アメリカデトロイト180万人の半数が、自動車産業に
従事していた
アメリカ車が売れなくなり、デトロイトは失業者で溢れた=治安が悪化
アメリカは日本製品、ものづくりに大変驚異を感じた+工作機械の危機
感を持っていた
アメリカは当時、工作機械の多くを輸入に頼っていた
『ものづくりの根幹を支える工作機械を外国に依存していては、アメリカ
 の工業が落ちる』
『これ以上日本の工作機械を輸入するな』
アメリカの調査団が指摘してきた
『日本の工作機械業界に通産省所管の競輪団体から補助金が出ているのは
 フェアでない』←アメリカに指摘される筋合いはない
それほど日本のものづくりが脅威
→対アメリカ輸出を自主規制する方針 実質は禁止
マザックは、アメリカケンタッキー州に工場があったので、現地生産、現
地販売が可(他のメーカーは×) アメリカ国内の雇用も創出
当初は重要部品は日本からの輸入、アメリカ組み立てであったため、
アメリカ大統領府USTRに指摘される→結局、多大な設備投資、現地生
産能力を上げて、現地生産比率を上げた

1982年 YMC(ヤマザキマシーナリーコーポレーション)から
      MC(マザックコーポレーション)に社名変更
1988年 経営方針を評価されて、「全米最優秀企業トップ10」受賞

アメリカと日本のスピード感の違いを感じた by智久
日本では、確実性、調整を重んじる
アメリカでは、検証よりも意思決定の速さを重んじる
失敗したら軌道修正すれば良い
「ビジネスでは、100%の確証はありえない」
日本とアメリカでは文化が違うと感覚
→現地の社長は現地の人間
→現地主義
 その地域に溶け込む

●ヨーロッパ進出
1964年 ヨーロッパに輸出を検討

カタログと会社案内書をぎっしり詰めたトランクを持って、ヨーロッパ全
域をセールス
「アメリカで売れるものが、ヨーロッパで売れないはずがない」
  →「Maid in Japan=粗悪品」
難航したが、粘り強く営業を行った

1970年 ドイツのデュッセルドルフに最初の事務所
1975年 ベルギーに欧州現地法人を設置

オランダ・ドイツ・フランスに囲まれている
多言語国家は外国に対してオープンな土地
ビジネスが展開しやすい
ベルギーの首都ブリュッセルは、港町アントワープに近い
アントワープはEUの首都(EU間取引、日本の輸出入に好立地)
工場の進出はどこにするか決断ができなかった
雇用の問題、行政との関係性、何十年とその土地に根付く覚悟・・・
色々と悩んでいたら、
→イギリスのサッチャー首相からイギリスに工場建設の依頼が来た
FMSの報道でサッチャーがマザックに注目
イギリスは産業の国有化により勤労意欲の低下『英国病』からの脱却、
サッチャーが経済対策を推進、国営企業の民営化、規制緩和をすすめる
☆海外企業の誘致(雇用の創出、産業の活性化)
 →外国資本に対する規制緩和を実施
『優れた経営、生産ノウハウを自国に定着させるため』

1982年 サッチャー来日 
      自動車メーカーをはじめとする日本企業のイギリスへの
      投資を日本政府に依頼
1984年 日産自動車のサンダーランド工場建設合意

日英首脳会談で工場建設を求めた
産業の源流に位置する工作機械を自国で生産することは、国全体の
工業力の底上げになる
イギリスが「工場に設置する機械の費用の半分を負担しましょう」
      ↑       →補助金をくれる
ドイツ・フランスが猛抗議
「日系企業の誘致に巨額の補助金を出すのは、フェアではない!
ヨーロッパは排他的(↔親和的)他国の文化を受け入れる文化が希薄
+ドイツの工業会の反発が強い
  ↓
ヨーロッパの他国と険悪になったら、デメリットが多い
イギリス進出を断念しようとした
→サッチャーがヨーロッパ世論に対して反撃
「無人化工場の進出ができるなら、どこの国でもイギリスは補助します!」
当時、マザックしかFMSができなかった→イギリス進出
イギリス・ウスターにマザックの最新鋭CIM工場が完成
CIM(Computer Integrated manufacturing)
生産システム全体がコンピューターで管理され、最小限の人間で稼働
できる工場
日本、アメリカ、イギリスの3カ国で工場が稼働した
年間生産能力が1500億円
世界の工作機械需要は起伏が激しい
必要に応じて生産調整し、市場における無用な競争を避ける
 →経営的柔軟性 by照幸
イギリス現地法人の社長もイギリス人「現地主義」
「TogetherーSuccess」
「みんなで一緒に成功を収める」

『マザックもユーザーも関係者もともに働き、ともに喜び、
  ともに成長し、ともに成功する』

いくつもの願いが込められている
      

自分の仕事に取り入れたいこと
 
 イギリス側がマザックの工場建設を求め、設備費用の半分を負担する
 と言って、他国が反発するほど、マザックの「FMS」は脅威だった
 ことが誇らしく思った

 「みんな一緒に成功を収める」という言葉が印象に残った
 大変な時だからこそ、みんな一緒に頑張っていきたい

 Made in Sakamotoの品質、技術を向上させる

 最新の工作機械や情報を取り入れ、世界に取り残されないようにしたい

 マザックの世界各国への進出は、多くの逆風もあったことが分かった
 その中でもしっかりと勝負をしてきたマザックは強いなと思った

 日本製品が低価格、高品質になったことで、アメリKが圧力をかけて
 工作機械の輸出を実質的に禁止したことが知れた

 マザックの現地の社長は現地の人間がするという考えはとてもいいと思った

 低価格と確かな技術であれば、最初は難航しても、粘り強く営業すれば、
 いつか成功するんだなと思った

 工作機械の需要の起伏が激しいことは、学んできた歴史や最近の状況から
 よく分かる
 Together Successの精神は参考にしたいと感じた
 
 
 
振り返り・今日の学び

 マザックがヨーロッパに進出する過程を学んだ

 日本の企業が全米最優秀賞トップ10に選ばれたり、イギリスの首相から
 工場建設の依頼がくるなど、すごいと思った 

 マザックの歴史、アメリカからヨーロッパを学んだ

 マザックの海外進出の歴史を学んだ
 海外の特色を知り、現地法人には現地の人材を配置するなど、現地での
 雇用の確保や、輸出額への貢献はすごいことだと思った

 海外企業の誘致は、自国に経営・生産ノウハウを取り込むことは出来る
 ので、国全体の工業力の底上げにもつながる事がわかった。
 外資系企業という言葉にあまり良い印象がなかったので、そういった側
 面もあることが知れて勉強になった

 マザックのFMSはアメリカやドイツにもできなかったので、当時はか
 なり先進的な工場だと知れた

 1980年代後半には、外国が日本の工作機械を輸入するなと言われる
 ほど、日本の技術力が当時は脅威だったことを知った

 マザックが海外からの批判を受けながらも、現地に溶け込んで、アメリ
 カやヨーロッパに進出していった事がわかった

 マザックの、アメリカ政府の方針や文化を合わせた柔軟な対応と、ヨー
 ロッパ進出の歴史について学んだ