工作機械の歴史⑪ マザックの歴史⑤ 210106
教育2021/01/07
工作機械の歴史⑪
MAZAKの歴史④
アジアのマーケットに本格的に進出
1992年 シンガポール工場を竣工
1980年代 ASEAN(東南アジア諸国連合)
シンガポール、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア
が急速に経済成長を遂げていた
シンガポール
1970年代に高度経済成長
ただし、技術や資本は、日本やアメリカの企業に依存していた
+
低コストの時刻の労働力
1979年 労働コストのより安いASEAN他国との競争が強まり
→産業構造の高度化を図る(安さより質を高める)
成果を上げ、ASEANの中核になる
↑ (技術力が上がった)
MAZAKが注目 自由貿易にも積極的
(ASEAN諸国中で貿易の自由化)
他の国々 関税を引き下げた
☆世界中の主要国と自由貿易できるシンガポールに拠点を置いた
ことによって、MAZAKは広い世界に展開できた
↑
MAZAKに先見の明
シンガポールでは、アジア各国に需要の多い小型のNC旋盤とマシ
ニングセンタを生産→世界中へ輸出
東南アジアといっても、一括にはできない
国によって、文化宗教、経済事情、倫理観が異なる
→それぞれに合わせる事、意識を切り替えることに神経を使っていた
シンガポールは最先端(ジェットエンジンの部品)
タイやインドネシアは二輪車の部品を作る機械
☆東南アジアでは転職が当然のように引き抜きが行われる
(自分を高く買ってもらいたい)
×日本のような義理人情ない文化
●中国進出 2000年1月
中国の西上部寧夏回族自治区銀川市(地名)
寧夏小巨人机床有限公司(会社名)小巨人工場(工場名)
銀川市→未開の地標高1100m気温7度以下
なぜ銀川市か?
「マーケットが巨大で潜在需要が大きい中国になんとか進出したい」
「最も需要が期待できる小型の工作機械を、中国国内で量産し、販売したい」
※中国はアメリカ、ヨーロッパと異なり、100%外国資本の企業は認められない
+
いくつものハードル
2000年代中国
都心部と農村部との貧富の差が生まれて加速し始めた時期
長城須崎鋳造股分有限公司の(マザック機の鋳物サプライヤー)
親会社の長城機器集団公司から
「共同で中国で工作機械を生産できないか?」
オファーがあった
寧夏回族自治区 面積6万6400㎢
北東6県 人口700万人
黄河沿岸に在し、インフラが整っていた
イスラム教徒を信仰、シルクロードが通る
古くから多くの異文化を受け入れていた歴史
中国でも比較的オープンな地域
→日本の企業も受け入れられやすい希望
☆長城機器集団公司とマザックで合弁(共同出資)して、会社を立ち
上げる話し合いが進んだ
(100%外資は不可なので、中国企業の共同の出資会社が必要)
過去に中国企業と技術提携した際に、製品や生産に対する両国の考え方の
食い違いを経験→不安、懸念
慎重に話し合いを重ねる→決定
◎相手側は厳しい経営理念のもとに着実な成長を遂げていた企業
経営感覚に優れているだけでなくお互いの立場を認め合える企業
◎地元政府も協力的でスムーズに建設できた
◎従業員の確保する面でも、地域に製造業が少なく、競合他者がいないので
利点があった
「一度入社したら離職率が低い」
(東南アジアでは従業員の利殖で悔しい経験)
◎人材確保に成功、高専との人脈
「工場はショールーム」基本となる考え方
◎江沢民も来訪「すごい工場だ」
→中国西部の開発政策を推進
→マザックの中国進出にピタリとはまった
工場名「小巨人」の由来
「小さな会社でたくさんの機械を生産し、地域や業界に大きな影響を与えら
れるような会社でありたい」という思い
◎FMS:自動化によって少人数で大きな成果
従業員は少数でも生産は巨大(中国発の外資工作機械工場)
☆中国人従業員とのコミュニケーション
欧米とのコミュニケーションとは別
「会社も大きな家族だと思って従業員と接するべき」
・食事、飲み会、乾杯が大切
社内行事が大切、乾杯でトラブル解決
・義理人情に厚い、一度親しくなると身内のようになる
北京語で通じる
◎工場建設当初は周りに何もなかった
→現在は発展して大都会(工場が拡張不可)
2001年 中国がWTO(世界貿易機関)に加盟
三大原則、自由(関税の軽減、数量限定なし)
無差別、多角的貿易体制
→いよいよ中国が自由貿易に舵を切った
2013年 中国の大連に新工場
ヤマザキマザック遼寧工場
(山崎馬扎克机床遼寧有限公司)
遼寧工場は生産能力の増大+機種の拡大のため建設
◎急激に拡大する中国需要に対応
◎機械工業の集積地として、中国国内の企業だけでなく、多数の外資企業
が進出
大連港が至近距離で輸出に便利(海運)
大連市 面積1万2600㎢ 人口 600万人
広大でありながら海に面している
気温が穏やか(仙台とほぼ同じ緯度)
1905年のポーツマス条約で日本に統治されていた
その頃の名残がある
◎工作機械における中国マーケットは世界の最重要エリア
世界の工作機械の25%を中国で生産(1位)
マザックは中国に2つの工場を築いた
マザックは、日本アメリカ、イギリス、シンガポール、中国の各工場が
それぞれ情報を共有し、切磋琢磨することによって、成果を上げる体質
が出来上がった
自分の仕事に取り入れたいこと
「小巨人」の由来の小さな会社でたくさんの機械を生産し、地域や業界
に大きな影響を与えられるような会社でありたいという思いを参考にしたい
マザックの「工場はショールーム」の考えのように、自社もショールーム
のようなきれいな状態を保てるようにしたい
MAZAK中国工場のように、少人数でも大きな生産が得られるように、
効率を考え、生産性向上を目指す
マザックは世界中に進出してきたが、その時代や国々に柔軟に対応して
これたからこそ、継続して成果を上げた来られたのだと思う
そうした柔軟な姿勢を学んでいきたいと思う
マザックは世界に工場を建設して、各国の需要に応じた工作機械を製造
する体制を整えていることを知れた
アジア各国で需要が多いのは、小型のNC旋盤としてマシニングセンター
だと知った
技能を手に入れたり好条件の職場があったりすれば、転職するのが当たり
前の地域では、日本のように人材を一から育成してそのまま残ってもらう
のは大変なんだと思った
情報を共有して切磋琢磨することで成果を上げる事
振り返り・今日の学び
東南アジアから、中国進出に至る歴史を学んだ
自社も「小巨人」を目指して努力していきたい
東南アジアの人に比べ、中国人のほうが義理人情に厚いのは意外だった
MAZAKは良い従業員とサプライヤーに恵まれていると思った
マザックの中国人従業員との付き合い方で、食事や飲み会などを大切に
してトラブルを解決していたということで、やはりその国々の文化を
しっかり受け入れる姿勢があったから、マザックもいろんな国々に受け
入れてもらえたのかなと思う
工作機械の製造で、中国が1位なのは知っていたが、シェアが25%も
あるのは知らなかった
マザックは国によって機械の仕様が違うことを知った
シンガポールのような国土面積の小さい国でも、後々のメリットを見出
だして、工場を作り、広く世界に売り出したのはすごいなと思った
マザックの東南アジアと中国への進出の歴史について学んだ
現地に合わせるスタンスで苦労しながらも良い結果を出していた